
1:1月11日 山田線 釜石〜宮古間 1647D
三陸鉄道の列車から乗り継いだ宮古行き普通列車。ほぼ満席となって発車時刻を迎えるだけ―――のはずがなにやら異変が。
「釜石〜鵜住居間、強風のため運転を見合わせています」。車掌のアナウンスが車内のスピーカーを通して聞こえてくる。
この日、東北地方は全体的に風が強く、朝方も仙石線で強風のため抑止(運転見合わせ)が発生したほどだ。
そういう状況下だったのでこちらの方でも強風による抑止が発生してもおかしくない状況ではあったが。
とりあえず身動きが取れる状況にない。釜石〜宮古〜岩泉〜茂市〜盛岡という行動予定だが、宮古の接続が完全に危なくなった。
というのは宮古での接続時間は僅か3分、多少の遅れ程度なら待つ可能性もあるが大幅に遅れると・・・。
そのうち花巻方面からの列車が到着。盛岡からの快速「はまゆり」3号だ。快速から普通に乗り継ぐ乗客もいる。
その快速が到着してしばらくしたところで発車所定時刻の13時40分。当然動き出す気配はない。
5分、10分と時間が過ぎていく・・・たびたび車掌のアナウンスがあるものの状況に大きな変化はなし。
そんなこんなで時間が過ぎていく。が、14時15分頃「25km/h徐行で運転します」とのアナウンス。やっと動き出すか・・・。
しかしそれでも実際に列車が出発するまでは時間がかかった。まず盛岡行き快速「はまゆり」6号が発車。
その後大槌か鵜住居あたりで抑止させられていた(と思う)宮古からの釜石行きの到着を待っての発車。
ということで実際の列車発車時刻は14時28分。所定時刻より48分遅れての釜石発車となった。
 
 
写真左:宮古行きの100系気動車 写真右:銀河鉄道線(釜石線)の路線ステッカー
ちなみに車両だが100系気動車の2両編成。車内はほぼ100%ぐらいの乗車率か。
| 乗車日時:2004.1.11 | |||||||
| 乗車駅 | 乗車時刻 | 列車番号 | 列車種別・愛称 | 降車駅 | 到着時刻 | 行先 | 備号 | 
| 釜 石 | 13:40 | 1647D | 普 通 | 宮 古 | 14:52 | 宮 古 | ( )内は実際の時刻 | 
| (↑宮古) 号車番号は便宜表記です | |||||||
| 号車番号 | 車両番号 | 所属基地 | 編成番号 | 備号 | |||
| 1 | キハ100 17 | 盛岡運転所 | 
 | 
 | |||
| 2 | キハ100 24 | 盛岡運転所 | 
 | 
 | |||
鵜住居までは25km/h制限で走行、とのアナウンスだが本当に徐行しながら動いてる、という感じか。釜石発車してしばらくは山間部でもある。
釜石の次の駅、両石まで通常なら7分で到着するが15分は軽くかかっただろうか。鵜住居までこんな感じで進む。
鵜住居からは通常通りの運転に戻る。100系気動車の力強い動きでそれまでより早く感じる。
が、大槌から吉里吉里までまた徐行・・・風がまた強くなったのだろうか。まぁ大槌で止められるよりは動いている分まだいいが。
その大槌で車掌から伝言が。実は釜石の時点でこの抑止で岩泉への接続がどうなるか、というのを聞いていた。
釜石の時点ではどうなるか分からない、という話だったが大槌到着時に連絡しない、との伝言。それなら宮古から盛岡行き乗るか・・・。
さて車内は落ち着きを取り戻し、珍駅名「吉里吉里」を過ぎたあたりから海が見えてきた。
浪板海岸のあたりで海岸線の写真を撮ってると向かいのおばちゃんが「このあたりがいいよ」と教えてくれた。
そんな海岸線も岩手船越を過ぎると車窓から離れる。
陸中山田と津軽石で若干乗降客があったものの大半の乗客は宮古まで乗り通すようだ。この時点で所定時刻よりも1時間以上の遅れ。
釜石で待機してる時間含めると2時間以上も乗車していることになるのでそろそろ疲れが出てきた・・・宮古はまだか、と思ってしまう。
磯鶏で次の駅名に「宮古」という文字を発見すると「やっと到着か・・・」。時間も夕方に近づきつつあり、太陽も陰ってしまってる。
周辺に建物が増え始めると宮古の市街地に到着。到着時刻は16時23分、2時間1分遅れでの到着。
つまり徐行運転が数回あったこともあり遅れがさらに増幅されてしまったのだ・・・。
この遅れで空腹を耐え疲れ気味になった私は改札を出てすぐ駅のそばスタンドで遅い昼飯。
この後岩泉行きに連絡しないため、この日の宿泊地、盛岡に直接行くことに。盛岡行きまで1時間50分もの大休止―――。
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